| HOME | 鈴木 保徳 【 荒野 】 | TOP | |||
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鈴木 保徳 1981−1974 □ 33.6×45.8(p) P8号 □ キャンバス油彩 □ 作品画面右下にサイン・制作年記(1958) キャンバス裏に署名画題 □ 作品コンディション良好 |
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| 制作されたのは昭和33年。日本が終戦の廃墟から立ち上がり 復興から自信を取り戻し豊かさをもとめはじめたころか。 街には鉄筋コンクリートのビルもキノコのようにはえだす。 その建物の壁面に飾るものとして、企業に絵画の需要もでだしたと 先輩画商からの話も聞いたことがある。 しかしそんな画商の求める需要とは疎遠なところで 生涯制作を続けた画家がここにも一人いた。 戦前、独立美術協会の創立会員でもあり、その独立美術といえば、 戦後も在野美術団体の雄として展開される中にあって、力むっことなく ごく自然な存在を維持した画家でないかと想像する。 この作品は作者が67歳頃の制作となる。 作品タイトルは「荒野」。荒地の向こうに煙を出す煙突。 それは当時のひとの営みの活力ともみえる。 この背景に描かれた「荒野」は、昭和のその時代そのものではないだろうか。 そして、その「荒野」に踏ん張るトノサマバッタは、つぎの着地点を見定めているかのようだ。 盛上った絵具で描かれたバッタは力強く躍動感がある。 そこにはその後の時代の向かう方向への期待も込められていたのだろうか。 時代をみつめる画家の良心によって描かれた作品だと思える。 現在の時代に重ねあわせても、このトノサマバッタは新鮮によみがえる。 |
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明治24年. 東京生。
明治41年. 白馬会葵橋研究所に通う。
明治42年. 東京美術学校西洋画科に入学、黒田清輝に指示。
大正 5年. 東京美術学校西洋画科卒業。
大正10年. 二科展に出品。
昭和 3年. 二科賞を受賞し二科会会友となる。
昭和 5年. 二科会を脱退する。
伊藤廉.川口軌外.小島善太郎.児島善三郎.里見勝蔵.清水登之.
鈴木亜夫.高畠達四郎.中山巍.林重義.林武.福沢一郎.
三岸好太郎らと 共に独立美術協会を結成、創立会員となり、以降出品を続ける。
昭和29年. 多摩美術大学教授に就任。昭和41年まで務める。
昭和31年. ヴェネチア・ビエンナーレに出品。
昭和43年. 国立近代美術館より三期に渡り作品所蔵。
昭和46年. 紺綬褒章受賞。
昭和49年. 東京で歿。享年83歳。
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